「嫌なら見るな」と言うことについて

 

 

 「全肯定とちひろの考えを尊重はちがう」、本当にその通りだと思います。

 

 少し違う話かもしれませんが、ずれた事を言ったりやってしまった人に対してリスナー同士で総叩きをしている光景をあちこちで見ます。

  ライバーの行動や活動方針を無意識にコントロールしたいリスナーは無限にいて、それをマシュマロなりで送ってしまう、ライバーがそれを負担に感じて配信やTwitterなどで表面化する、それに対して感情的になったリスナーが非難して炎上する、という流れが定型化してきました。

 この流れはVtuberだけじゃなく、凄惨な事件があったり、有名人が悪事を働いたりした時にニュースとかでよく見る流れではあります。まず元の「APEXばっかりやるな」というマシュマロを送った人間もそうなんですが、そのマシュマロを公開してライバーがそれについての意見を述べた後、そのマシュマロを送った人間に対してリプ欄でライバーへの尊重を見せかけつつ、その人を非難轟々にするリスナーも考えものだなと思います。

 

 

 自分の話になるんですが、「ライバーの事を尊重できないなら見るな」とか「ライバーに迷惑が掛かるようなコメントをするな」などのコメントを見かける度、『自分は見るに値しないのかなあ』『コメントしても迷惑になるだけだよなあ』と思って勝手に心を病んでしまう事が多々あって。そこに「(それくらいの事で気を病むくらい)心に余裕がないなら見るな」とまでコメントで言われると、もうそのコンテンツから離れるしかなくなってくる。

 いやいや、被害妄想で心の余裕がなくても、Vtuberの放送見ていいじゃん!!!って思うんですよね。ただ、そういう状態になってる時は自分で自覚して、ライバーへのリプやマシュマロを送るのを控えるとか、そういった対策を自分でしていかなきゃいけないとは思います。とはいえ、自分で自分の心の余裕が無いって気付くってそうそう簡単な事ではないんですけどね。

 

 

  自分はこうやってコンテンツから距離を置くことで精神を保ったりできるんですが、ライバーってその批判を一身に背負ってそれから逃げられない訳じゃないですか、メンタルが弱い自分からしたら考えられないし、たぶん目を通すのも憚られるような文章も届いているんだろうな、と想像するだけで気が遠くなってきます。

 ライバーに対しても「(1リスナーの意見に対して)嫌なら気にしなければいい」というコメントを何回か見るのですが、嫌なら気にしない、って事がどれだけ難しいか分かってるんか??お前はそれができるんか??と頭の中で思ったりします。実際「嫌なら気にしない/見ない」っていう事ができる大人がどれくらいいるのか、そういう精神的な器用さをライバーに対して求めるのも一つの悪意なのでは?だから言葉に対して「嫌なら見なくてもいいよ」「気にしすぎだよ」と他人に言ってしまう自分自身の言葉の棘に対しての無関心さと表裏一体なのではないかと思ってしまいます。

 「悪意のあるマシュマロ」と一口に言うけれど、それを判断するのは受け取り手な訳で、気を付けていたとしても自分の送った言葉がいつ「悪意のある言葉」になっていてもおかしくはないという事は全員心に留めておいてもいいとは思います。

 一方でコメントでのプロレスみたいな文化もあるから、重く考えすぎてもいけない…難しい…というのが正直な気持ちです。

 

 

 

 「その人の考えを尊重する事」と「その人の言ってほしそうな言葉をかける」こと、見た目がよく似がちな為に扱い方を考えなければならないですね。

 

 

 

 

 この文章も誰かの意見を否定したりしていないか、誰かを無意識にコントロールしようとしていないか気を付けながら書いてはいるんですが、誰にそう受け取られても不思議ではないから怖い。そもそも1リスナーが意見を言うな!ただ享受しろ!っていうのはごもっともなんですが、それを他人に強制されたりするのも違うよなあ…みたいな事をぐだぐだ考えています。でももうちょっと気楽に話したりしたいなあ。

 

 

関係ないけど夢月ロアさんが#ちとせてんごくのRTをするのエモエモのエモですよね……