Twitterの下書きが溜まってきたので供養する。
Vtuberが炎上する事は多々あるけど炎上した後、自罰的になる人と他罰的になる人がいて、他罰的になる人間には距離を置こう、という風になるけど自罰的になる人間にはすっかり共感してしまって炎上になんて負けるな応援するぞ、という風な気持ちになってくる。
嫌いなVtuberがいて(自分はVtuberにハマっているので)、度々コラボで登場しては吐きそうになるんだけど、その人たちを「嫌い」だと表明しても何らいい事がないのでTwitter上とか人のいる前では黙っている。
人間関係、という枠で人を囲ってしまうのをまずやめるべき、目の前にいるとか、これをみてる人の事を考える事だ。
なんでひとつも謝りもしない人間に「簡単にごめんって言うけどそれって自分のために謝ってるよね」みたいな事言われなきゃいけないんだろう?
「優しい」「いい人」って「取り柄がひとつもない」「弱い」と同意義だと思っている。もう2019年の日本だとバッドステータスの一種なんじゃないか?
人の根源的な欲求として、人を殴りたい、叩きたいというものがあると思うんだけど、2019年日本だと殴られ損、殴り得みたいな所があるから本能に従って人をどんどん殴って行った方がいいと思うんだよな。
全力で身体を振り回す事のできる場所がスポーツ以外で見当たらない。それ以外は全部窮屈に感じる。
ライブで「周りの人に気を遣いながら手を上げる」のがめちゃくちゃに難しい、正直ライブでそれしか考えてない
小さい頃、口喧嘩が上手い奴がいて、自分は強く言われると何も言い返せなくてそいつの事を殴って、当然手を上げた方が悪いので先生を呼ばれるか、悪い時は集団で殴り返された記憶があって、それはそれで仕方ないとは思うんだけど、大人になって口喧嘩が上手い奴が先行して殴るようになって(精神的肉体的問わず)、かつその責任転嫁を他人に押し付ける、みたいな事が多くて、そういう人たちって、手を出したらボコボコに殴られた、みたいな経験が果たしてあるのかなあ、大人になってもう全力で殴り返される事なんてなくて、殴り得みたいに、なってないかなあと、そう思う
とんねるずのリアル野球盤を見ていて、ゴルゴ松本が相変わらず「デレク・ジーター打法!」ってやってたけど、もはやデレク・ジーターって誰だよって感じだよな。
確かに麻雀界ってMリーガーの女性もかなり高齢化してきてしまって、新しい若い広告塔(と言ったら言い方が悪いけど)を探している状態だから渡りに船なのかもしれんね →天鳳にできることは、他の方が入ってくる前に、この独占領域を保護してあげることだと考えています。
(夜桜たまの引退後、天鳳から寄せられたコメントへの引用RT)
御伽原江良ちゃん(呼び方を決め損ねてる)の事がめちゃくちゃ好きなんですけど、どれくらい好きというと、例えば同じクラスに江良ちゃんがいたとしたら、一緒のクラスになって夏休み前くらいに告白して、振られたけど卒業後もズルズル引きずるだろうなって妄想をするくらい好きです。
ロアちゃんが叫び声出した後とか地声っぽい声出した後に「汚い声出ちゃった!」って言うの、人間が見えていいんだよな……
「ぶっちゃけ」って表題から出てくるのって大体遠回しに悪口じゃない?そもそも「本音をあけすけに言う事」がそのままコンテンツになるのがすごい。
清原和博のホームラン集を見ているけど、あんなアウトローのボール球をライトスタンドまで運べるんだったらあれだけホームラン打てるよなあ、小学生の頃から清原が好きだったし、今になってそれを撤回する気はさらさら無い
天気の子を観に行って1週間が経つので、そろそろ落ち着いて話せると思うんだけど、物語の本筋とは関係ない所がめちゃくちゃ気になってしまって集中できなかった。本名役の佐倉綾音と花澤香菜とか。協賛企業の数々とか。前作の登場人物がめちゃくちゃ出てきた所とか。ノイズが多すぎるんだよなあ……
推しとの距離のはかりかた 僕自身イマイチわかってないけど 君とはずっとはからなくていい 距離をみつけたいんだよな そう思うんだよ 信じたいんだよ 寄り添いたいんだよ 僕の声が 届くといいな