かえれない

 

・自分の中で毎年誕生日の2月22日にブログを更新する決まりになんとなくなっていたのだけれど、ここ2月中ずっと喉の腫れとそれに付随する慢性的な頭痛があって、21日に病院に行った所咽頭炎だろうとのことで、抗生物質をもらって帰ってきたその夜に熱が上がってしまってそれ以降高熱で苦しんでいて文章を書くどころじゃなくなってしまった。ブログを初めて開設したのが13歳の頃だったから、ブログを始めてからもう15年にもなる。誕生日で一年の振り返りをやり始めたのは…いつだったか、mixiの頃だったか…モバゲーの頃だったか…とにかく昔すぎて覚えていない。なんとなくその後はダラダタと過ごしてしまって今の今に至る。

・最近とんと病弱になってしまった。慢性的に背中は痛くて少し椅子に座ると頭に血がのぼらなくなって真っ白になっていくようだし、立ち眩みは多いし、今回のように喉が弱すぎて一年に何回か高熱を出してしまう。相変わらず昼夜逆転の生活をしているし、運動もせず寝てばかりで、食事もろくに取らないから当然といえば当然なのだけど、こうなってしまうのも早かったなと振り返って思う。食べ物を作ったり準備するのは好きだけど、いつもなんにも食べたくなくて、色々食べ物が入っているの冷蔵庫の前でしゃがんで扉を開けたり閉めたり、スマホを開いたりしながらようやく夕方頃にうどんを茹でて食べたりしている。

・2021年頭はウマ娘にハマってYouTuberの動画を見たりしながらどれだけ強いウマ娘を作れるかに没頭していた。チャンピオンズミーティングという1か月に1回の唯一のPvPのコンテンツで何連覇かしてるのが自慢だったのだけど10月でそれが途切れてしまいそれを機にほぼやってない。その代わりにハマったのがポーカーチェイスというアプリだ。

poker-chase.com

ポーカーは中学生くらいの頃からPokerStarsの無料でもらえるプレイマネーを毎日もらってはリング戦をやったり、たまにトーナメントに出てみたりはしたけれど碌にセオリーも知らなかった(その当時はそうしたセオリーが親切に書いてあるブログもなかったと思う)けどもVTuberが案件の配信をやっているのを見て少し勉強しようと思って世界のヨコサワさん(世界のヨコサワ - YouTube)や、カジノちゃんねるさん(カジノちゃんねる - YouTube)、ポーカーの沼さん(ポーカーの沼 - YouTube)さんなどの動画を見てやってみた所TOP100の掲示板に載る事ができた。こういうアプリゲームの全国ランキングで上位に入る事が自分の中で滅多にない事だったし、またアプリ上でのプレテスト的な最初のトーナメントで1位を取れて、同じようにポーカーチェイスをやっているフォロワーが増えたのが今年の中で一番嬉しかった。

もっと上手くなるべくGGpokerでRush&Cashというポーカーチェイスとは違う形式のものをやったりしてるけど一番下のレートでボコボコにされているので最近はポーカー触るとヘタクソ!ヘタクソ!という声が脳裏に響いてきてなかなか触れずにいる。とてもじゃないけど人に誇れる腕ではない。同じポーカーチェイス出身で勝ってる人を見ると本当によく勉強していてすごい。

ポーカーチェイスとの出会いが去年の一番の大きな出来事だったかもしれない。

 

VTuberも見ている…が昨年以上に見なくなった。業界全体的な傾向としてFPSの大会への準備だったり、箱主体での大きな企画、それこそライブとかへの準備だったりそういうものにリソースを割きがちだった一年だったように思う。毎日どこかかしらで祭りの準備をしていて、知らないところで祭りが終わって、また気付いたら祭りの準備をしている…というのが大きい箱に所属するライバーに対しての自分の印象である。

イクラの雑談配信が好きだったのだけど、今はもうマイクラの配信を定期的にやっているにじさんじライバーもほとんどいない。けれどもにじさんじ亡き後も100人の歴史が詰まっているものだから文化遺産として何かしらの形で保存してほしい。

 

むろん、たくさんのにじさんじライバーが今も配信上で、そのような取るに足らない生活の話をしてくれていること、のんびりとゲームをプレイしてくれていることは知っている。しかし空気、企業としての方針が生み出す空気が、ライバー個人の配信にも流れ込んで、そこに大なり小なりの気負いが生まれているというのも、また事実のように思える。その言外の気負いが、貧弱な私にとってはしばしば重たいのだ。 波に乗るよりも、波に抗って立ち止まり続けることのほうが難しい。そのことは承知している。つまらないものが見たいと言うのは、おもしろいものが見たいと言うのと同じかそれ以上に傲慢で、仕事としてVTuberをしている人たち、存在そのものが事業のなかにある人たちに本来向けるべき言葉ではない。そのことも理解しているつもりだ。それでも、絶えざる拡張や、前進や、発展の先に、果たして何があるのだろうと思ってしまう。膨らましているものは、しぼむか、破裂するしかないという未来が臆病に、幼稚に、そして自己中心的に怖い。いちばん楽しい熱狂の瞬間には、それが終わるときのイメージが頭を掠める。 「戻ってほしい」と言うほど変わったわけではないし、「また観させてほしい」と言うほど観ていないわけでもない。全然観ている。ただ、2020年と比べて振り返ってみたとき、わずかに遠のいたように感じるその距離を、今は少しだけ不安に、そして寂しく思っている。

電波に照準を——極私的VTuber備忘録2021 - 石少Q

 

引用先の記事が素晴らしすぎて正直自分がVTuberに対して思ってる事、何を言っても二番煎じな気がする。引用先を読んでほしい。見てるVTuberも大概一緒。一ノ瀬うるはの配信を聞きながらここ一年は寝てる。

 

・上京をしてからというもの盆と正月には必ず実家に帰省していたのだけど、流行り病の影響があって、一昨年の年末と去年の盆は実家に帰省する事ができなかった。去年の年末、2021年の年末にようやく実家に帰る事ができた。祖父はずっと腰が悪く、一昨年にもうほとんど動けなかったのだけれどキッチンに座って食事を取る事は出来ていた。でも、もう出来なくなった。今までキッチンには6つ椅子があったのだけれど、去年の正月に帰省した時には4つに減っていた。もうきっと祖父はもう二度とあのキッチンの椅子に座る事はないのだろう。ずっと部屋で介護用のベッドに横たわってテレビを見ている。

帰省中のある日、部屋(自分の部屋は二階にある)で寝ていると、祖父の部屋から「おばあちゃん…おばあちゃん…」と唸るような声が聞こえる。祖母は居間にいてその声が聞こえているはずだけれど、呼ぶ声が止まないので一階に降りて祖父の部屋に入る。「おばあちゃんを呼んできてくれ…」と祖父は助けを求める。居間に祖母を呼びに行くとお前が相手してやってくれ、と言う。そう言われたからと再度祖父の部屋を訪ねてしばらく部屋にいる、みたいな事が何度かあった。多分祖母は一日中そうやって呼ばれてもううんざりしているのだと思うし、祖父も自分がいるとしくしくと泣いてしまうような、終始そういう調子だった。何かしてあげたいが、何もすることができない。とりあえずそういう事があったと何かに書いておこうと思った。

 

(2月末にはもうここまで書いていたけどいつまでも投稿しないのでもう諦めてここで投げておきます)

 

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