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 最近気温の上下動が激しくてかなりつらい。

 

 気温がいきなり上がったり下がったりすると、目が覚めて起き上がった時にめまいがするし何か食べると吐き気が止まらない。そんな状態がもう10年近く続いている。

 

 大学にいた時も梅雨に入るか入らないかの時期にも全く身体が動かなくて、外に出られない自分を責めて一日中自己嫌悪に苛まれるような、そんな感じだった。今考えると大学に行けないことよりも自分を責め続ける事の方がダメだった。

 

 この10年で夜12時前に寝て朝の7時に起きる事ができたのが数える程しかない(片方ならある)。いわゆる自律神経失調症なんだろうけど、病院に行っても「最近どうですか、はいそうですか、いつものお薬出しておきますね」と5分で終わってしまうのでどうしようもない。他の医療機関を受診しようにも、先ずかかりつけ医の了承を取らねばならず、「あなたの事を信用しきれないのでセカンドオピニオンをしてみようと思うので許可をしてください」と言うようなものなのでとてもやりづらい。

 

 自律神経失調症に陥ってる大学生なんて沢山いて、「病院行ってみたら?」と言われて、行ってみたらよく分からないような診断が出て、薬を沢山出されるからそれを飲んだら今までしていた生活が送れなくなる、みたいなパターンがあると思う。どちらにせよそういう人はどこかで壊れてしまうのかもしないが、そこから社会復帰できるかどうかは本人の強い意志というよりも、周囲の人間の協力や理解といった側面の方が大きいように感じている。

 

 「発達障害漫画の女性にはいつも理解してくれる彼氏がいる!」と怒っている男性をTwitterでよく見かけるけれど、ご多分に漏れず自分もその一人である。やっぱり自分の周りにいる、メンタルがやられがちな女性は大抵彼氏が途切れない。あれはあれで近くに人間がいすぎるとメンタルが揺さぶられすぎてしまうのかもしれないし、大変な事はたくさんあるのかもしれないけど、羨ましいと思ってしまう。

 

 彼氏/彼女がいることが全てではもちろん無いのだけれど、メンタルが弱い人間にとって、生活の中で困った時に連絡できる相手がいるのといないのとでは雲泥の差である。それなのに、パートナーを大切にしない姿を見てしまうと、価値観が全く違うのだなあと感じずにはいられない。例えるならメンタルが不安定な金持ちがいたとして、「お金なんか沢山あっても幸せになれない!」と私に相談したとして、それに共感しようとしてもなかなか厳しいものがある。私の認識としてはそんな感じである。

 

 男性にしても女性にしても、メンタルが不安定な人間は孤独になりやすくて、孤独な人間が病院に行ったとして、その先を考えてくれる人はいるのだろうか?と想像しはじめてしまうと、一概に「病院行ってみたらいいんじゃない?」とは言えなくなってしまう。

 

 普通の生活に対して要求されるハードルが今回のコロナウイルスの先行きの不安を通して高くなるのではないかと予想している。ハードルを越えられなかった人間がADHDとか、発達障害などの枠に収められていって、ますます社会復帰が困難になっていくのだろうな。

 

 (おそらく)うつを経験したことがない人たちに「夜寝る前にスマホ見ない方がいい」「外に出て日光浴びたら治る」とか言われるのが本当につらい。眠剤を入れて寝付くまでにいつも3時間も4時間もかかるのに、それまでずっと目をつぶってじっとしていなければいけないのを考えると気が遠くなるし、何日か前から睡眠のリズムをずらしたり、飲むと腹を壊すカフェインの類を飲まなきゃ午前中に外に出られない。

 

 その辺の発言を配慮して欲しいと他人に口に出すのは傲慢だけど、その次に出てくる言葉が「病院行った方がいい」なのでループのような状態である。自助努力で克服した人間が存在する以上、甘えが生じている、努力が足りていないという指摘は甘受すべきだけれど、もうこれ以上は他人の助けがないと厳しいと感じている。ここ最近は助けてほしいと手を伸ばした先でたらい回しにされているような状況だ。

 

 この前転職サイトのWEB面接を受けた時、アドバイザーに「いつ治るんですか?」と言われて、いつ治るんでしょうね、こっちが知りたいです、と震えながら返したら寛解の概念を教えてくれた。「いつ治るんですか?」という言葉をかなり引きずっている。その言葉を反芻しながらこの文章を打っている。

 

 

 


 

 

 

 何年も何年も日がな一日外に出ないよう日々を過ごしていると、精神を病んできて「もうダメかもしれない」と思うことがたくさんあって、実際このまま引きこもっていれば真綿で首を絞めるような状態でいずれ死ぬと思うんだけど、自粛期間中にみんな病んでて、Twitterでは闘争が終わらなくて、このまま死ぬのは自分だけじゃないのかもしれないと思うと気が楽になった。

 

 私の住んでいる所はベッドタウンで、アパートはその駅からさらに徒歩40分くらい歩く所にあるのだけど、自粛している間は前よりもむしろ人が増えて、一軒家の前では家族で遊んでいるし、工場の前ではバーベキューをしていた。

 

 この自粛期間の1か月ちょっとは本当に楽しかった。外に出られないことを自責しなくてもよくなったし、Twitterのフォロワーと映画を観たりもした。楽しいとなんにも書くことがない。ただ今日は体調が悪かったし、緊急事態宣言が解除されたこともあって、寂しさを思い出してしまったし、この期間の事について何か記しておかねばな、と思い立ったので書いてみた次第である。

 

 明けない夜はないというけれど、夜に住んでいる人間にとって夜から人がいなくなるのは寂しい。

 

 最近、朝と夜の境目として、新聞屋の話が出たことで鮮明に浮かんできたのだけれど、自分にとっての朝と夜の境目の象徴は除雪車だ。実家の前にあるデカい駐車場に何台か除雪車が置いてあって、それが冬の午前4時前くらいになるとゴゴゴゴと一斉に動き出す。窓を開けると寒いから絶対に開けないのだけれど、除雪車のランプの光と、けたたましいキャタピラの音が、自分にとっての朝だなと、その話と、おそらく元ネタであろうハヌマーンのNice to meet youを聞いて思い出した。

 

 

 

Nice to meet you

Nice to meet you

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