Easy revenge!

 

‪人の根源的な欲求として、人を殴りたい、叩きたいというものがあると思うんだけど、2019年日本だと殴られ損、殴り得みたいな所があるから本能に従って人をどんどん殴って行った方がいいと思うんだよな。‬

滅私 - 一関市物産展

 

 2019年時点の自分は「殴られ損、殴り得だからこれからは人をどんどん殴っていった方がいい」と言っていた訳なんだけど、2021年現在はよりその傾向が強くなったと感じている。森元首相の件とか、「この人は差別をしています!」とひとたび誰かが指差して叫ぶと、どこからか人が集まってきて反論の声も出せなくなるまで袋叩きにされてしまうような、そういう光景をよく見かける。相手に慣れない気遣いをした結果、自分の歪な所が浮かび上がってしまって袋叩きにされるみたいな経験が自分の人生にもあって、それと重ね合わせてしまって暗い気持ちになっていた。

 

 そうやって日々悶々としていた中で一昨日近所で大きめの火事があった。轟々と燃えている近所の家を前にして「自分のアパートが燃えるかもしれない」「どうしてあの時スマホも財布も持たず逃げてしまったんだろう」と消火に至るまでの3~4時間、後悔に苛まれていたら、日々悩んでいたTwitterでの諍いで悩んでいた事がどうでも良くなった…とまではいかないけど少し距離を置いて見れるようになった。

 

 やっぱり何かに悩む、というのは俺が暇だからやってるのかもしれない。悩みたいから悩んでいる、自分が不幸だと思いたいから不幸である、全ての境遇は思い込みに過ぎない、みたいな考え方に感情的にあまり賛同できなかったのだけれど、本当はそうなのかもしれない。どちらにせよあるストレスはより大きなストレスによって圧倒される事を実感した出来事だった。

 

 

 27歳になった。20代前半では「27歳で死にたい」と言っていたが死ぬ目途が立っていない。日々身体も頭も動かなくなっていって、それでも日々を回していくだけの行動は起こさなくちゃいけなくて、そのために自分のやれる範囲で自炊をしたり、運動をしたり健康になろうと努力していく中であまり「死にたい」と強く思う事はなくなった。毎日生きている事が申し訳なくて「ごめんなさい」「すみません」と独り言を言ったりしてるのだけど、例えばカーテンを引きちぎって首に巻いたり、練炭を用意するような激情が自分の中にもう残っていない。ただ日々YouTubeTwitterを往復しては無になっている。ゴミだ。

 

 周りは素晴らしい人間ばかりで、自分はただそれに混ぜてもらっているだけという感覚がある。外見も中身も社会的な地位も、およそ自分の年齢に足るレベルには達せていなくて、現実で人に出自を訊かれたりすると口ごもってしまう。出自を隠す人間を人は信用しないし、かといって「26歳で定職についていません」と正直に言って気をつかわせてしまうのもまた罪なような気もするし、嘘をつけるほど器用な訳でもない。昨年の段階では社会復帰をするためにそういう自分を包含してくれるコミュニティを探して東奔西走していた訳だけれど流行り病の影響もあり頓挫してしまった。正味探せばいくらでも出てくるとは思うのだけど、あと一歩が出ない。こういう状況を鑑みるともう一生人間に足るレベルに到達する事なんて不可能なんじゃないか?とすら思えてくる。

 

 

 2020年もずっとVTuberを追っていた。でも、もうそろそろ追いきれなくなってきた。

 自分はアニメキャラを見る時も強く声優の存在を意識する方で、VTuberを見る時も中の人の存在を強く意識する。そんな中で「コンテンツとしてではなく1人の人間として接しましょう」みたいな注意喚起が沢山回ってくると、更に中の人間を意識してしまって、俺の何が中の人間を傷つけてしまうか分からないから、もう何も言うべきではないなと思っている。肯定的な物言いを強いられている感じがしてめっちゃだるい。VTuberの勢いは止まることを知らず、今最盛を迎えて月に1度はライブがあり、各種メディアに出ている訳だけれど、いわゆる「推し」の晴れの舞台が自分にとって嬉しくなくて、周りとの距離感を感じている。やっぱり嬉しい!と思えるためにその集団への帰属感というものがある程度必要なのだけれど、その集団が大きくなれば大きくなるほど、自分の必要性を感じなくなって、没入感が薄れていく感じがする。

 

  要するに「人により必要とされたい!」みたいな話だと思うんだけど、人により必要とされる為には人にまず与えなくちゃいけなくて、人に与える為にはまず自分の資本を整える必要があるから今とやるべきことは大して変わらない。いつかもっと人に何か分け与えてあげられるような人間になりたい。自分の何を分けてあげたら人は嬉しいのかさっぱり分からないけれど!

 

 

誰かと話すことが自分にとっていちばん嬉しいから、いつも話してくれる人たち、本当にありがとう。