不退転の決意

 

 

Tumblrがあんまりにも使いづらいのでブログを変えた。好きなツイッターの人たちみんなはてなブログを使ってるのでおそらく使いやすいんだろう。「おしゃれっぽい!」でTumblrを使っていたが、改行すると文字は消えるわ、画像付けると超重くなるわで、最初メモ帳かFacebookの下書きに書いてからコピペしていた。結局Tumblrのブログとしての長所ってなんだったんだろう。(Tumblrが問題になっていた時、エロ動画をTumblrに投稿して鍵をかけておく、という使い方があったのを知った時、目から鱗が落ちるようだった)

 

色々なブログサービスを転々としてきてる訳だけど、自分が一番最初にお世話になったのはFC2とかlivedoorとかではなくteacup(https://www.teacup.com)というブログサービスだった。1代目ブログはもう残っていないが、2代目のブログは昔使っていたPCに残っている。今でもたまに見返すのだが、今からは考えつかないくらい頭がお花畑な文章を書いていた。

高校1年くらいまで今の小学生も書かない頭がお花畑な文章を書いていたのだが、高校2年のモバゲーのブログのやたらと改行の長いブログを経由し、高校3年には鬱々とした今とあまり変わらないような文章を綴っている。当時父親の締め付けが厳しく、本当に自分は生きるべきではないと思っていた思考がありありと見て取れる。この頃まで行くと今の自分との連続性が実感できるな。

 

そんなこんなでもう10年近くも自分の心情をブログに書く、という事をやってきてるのだけど、何年文章を評価される機会が減ってきてるからか、文章の繋がりが訳分からなくなってきている。どうしようって感じだ。流れで書いているのはいいけど、読みづらいでしょう?これ

 

文章を仕事にする事、考えなくもなかったんだけど、人に自分の文章を推敲されるのがまーーーーじで嫌いなので、絶対にそういった仕事には就けないと思う。人に一部直されちゃうと、文章のバランスが完全に崩れてしまうから、あれよあれよという間に全部書き直さざるを得なくなって………ってメンタルを崩された事が何度もあるので、もう他人に文章を提出しない事にした。レポートとか出来ないけど、もう無理だ。自分の文章が人の評価に晒されるのがもう耐えられない。

 

 

 

「人間の本性は崖っぷちになった時に現れる」みたいな事言って圧迫面接とかが日本で横行している訳だけど、当然プレッシャーのかかる場面で人間、パフォーマンスが落ちるのが当然な訳で、「プレッシャーや壁にどう立ち向かうか?」みたいな質問があったら、そもそもそういう場面を避けるのが正解であると自分は言いたい。

思えば小学校の野球の試合、陸上の試合、ハンドボールの試合、中学校の野球の試合、高校のハンドボールの試合、最高のパフォーマンスが出せたり最高記録を出せたのは「別に結果がらどうなろうといいや」と思って適当にやった時だった。

年齢が重なるにつれ、プレッシャーがかかる場面ばかりになってきて、「別に結果がどうなろうといいや」と考える事が少なくなってきたが、投げやりでいいような、そんな場面を作っていきたい。自分で作れるのかどうかは分からないけど。

 

 

 

 

関係ない話を。

 

塾講師なんてバイトをやってるけど、本当にただ小中学生とお喋りをするばかりで、特に何かを教えられてるような気はしない。

塾って親が勉強させてます、っていう安心を買ってるだけなんだなと漠然と思う。こちら先生としてもテストに出そうな所を板書して書かせたりしている訳だけど、結局テストの前に見るのはワークの「まとめ」の所だけで、自分達がテストに出るよ、と言った板書は授業が終わった後恐らく一回も見返さないので、復習も意味がなく、ただ子供の才能(あんまりこの言葉を使いたくはないけれど)に依ってしまう所があるなあと思う。

 

学生の時、塾、ありましたか?

僕の所は無かったです。

 

 

 

タイトルはなんか響きが好きでバイト中にころころ頭の中で転がってたのでつけました。

 

デレステのフォトスタジオで撮った画像を適当に加工するのにハマっています。

 

https://www.instagram.com/sigur_18g/p/BrZ44LyANFC/

Instagram post by wac • Dec 15, 2018 at 10:24am UTC

 

以上です。