ディズニーランド問題



ディズニーランドに対する並々ならぬ想いがある。「現実に存在するファンタジーを全然楽しめないコンプレックス」というか、 どこかそういう物に対して冷笑的になってしまう(そこに入り込んだ方が絶対に楽しいというのは分かっているのに!)のが悩みで、決められた場所で自己を解放できる人が羨ましくてたまらない。

「自己を解放できる」という言い方をするのはなんか違う感じがして、あの空間にいて楽しめるって事は、「あの空間が要求するロールをすんなりと受け入れられて、かつそれが楽しい」という事で、そう考えるとめちゃめちゃすごくて、そして多くの人間がそれが当たり前である、という現実に愕然としてしまう。

ディズニーランドとか、あと例えばメイド喫茶や、キャバクラなんかもそうだけど、そこの空間においていくつか暗黙の決まり事があって、キャストにも客にもそのルールを守ってもらう、その上で楽しむ、みたいなものがもう明確に苦手で、「これは決まり事を破っていないか」「キャストに迷惑がかかっていないか」という事を一々気にしすぎてしまって、現実社会以上にストレスがかかってしまう。

こういう事を考えてると「肩を抜いて楽しんだ方がいいよ」とか「難しい事を考えないで」とか言われるんだけど、それが出来ないから、こんなにコンプレックスを拗らせているんだろが、と思う。普通の人(いつもこの表現を使ってしまう)(普通の人とかいないのに)は、多少ハメを外した所で役割を自然に果たすことが出来て、スタビライザーが付いてるのにすっかりそれを忘れていて、「スタビライザーなんかいらないっすよwww」と言っているように思えて、それがすごく羨ましい。その人達は私の事を 、「空気の読めない奴だ」と言って面倒臭がると思うけれど、どうしたらいいのかわからない。病的な人間は隔離されるべきなんだろうか?人前で足の先まで気を張ってないと、人前で人間の形状を保っていられる気がしない。

そもそも人的なファンタジー、というだけじゃなく、ファンタジーそのものがひょっとしたらあまり好きじゃないのかもしれない。ディズニーランド、ディズニーランドだけじゃなく、人的なファンタジーを普通に楽しみたいのに、「肩を抜いたフリ」「難しい事を考えないフリ」をするのが難しくて、全然楽しめない。誰か、ディズニーランドを歴史的建造物として扱ってくれる人間といつか一緒にディズニーランドを散歩しに行きたい。ディズニーランドは歴史的建造物として、歩いているだけで楽しそうなのに。公式の推奨する楽しみ方だったり、「ディズニーを好きな人」の「ディズニーの楽しみ方」を押し付けられる事でそれ自体を嫌いになってしまうような事ばかりだ。

一人で行けって話だよね、泣けてきちゃう。