My Adorable, Broken Internet Archives


小学生の頃、プロフィール欄の私の宝物の欄に「プレステ2メモリーカード」と書いていた。


小さい頃から実物よりデータで物を集める事に執心してきた。プレステ2メモリーカードのデータは破損してしまったけれど、今でもYouTubeWatch Laterのリスト、ブラウザのお気に入りのサイトを眺めては恍惚に浸るのが趣味だ。


これは私が長年こういう事をやってきたから分かるのだけど、「ネットにアップされた情報は永遠に消えない」というのは嘘だ。公式、非公式に拘らず。個人でやってきたサイトは個人の一存で消えてしまうし、ブログサービスなんかも、会社の盛衰によって消えてしまう。現在進行形でブログサービスがどんどん終了していっているし、本人が「パスワードを忘れた」というだけでもう一生他人の目に晒されない。


あれだけ好きだったボーカロイドの曲が、投稿されていたニコニコ動画からいくつか削除されているのを見つけた。たった8年でこれなのだから、いずれ、自分がハゲにになる頃には、ニコニコ動画ごと無くなってもおかしくない。いま、僕たちが躍起になってやっているTwitterも、他のもっと有用なサービスが確立すれば、いずれ飽きられ捨てられる日が来るかもしれない。仮にそういう日が来たら、人に転載するに足らない、と判断された言葉たち、画像たち、動画たちが誰の目に留まることなく消えてしまうのだ、とひとたび考えてしまうと、その情報たちが愛おしくてたまらなくなってくる。


YouTubeの動画のひとつひとつは、誰かが作った汗と涙と血の結晶なんだろうけど、その努力を知らない消費者の自分からしたら、海辺で集めたきれいな貝殻みたいなものだ。尤も、それは自分のものじゃないから、いずれ消えてしまうし、ここにある文章も、いずれ消えてしまう。死んだ友達のFacebookにあった動画は複製して残してあるけど、果たしてここにある文章は、自分の残したデータは、誰かが複製するに足るものなんだろうか?と考えてしまう。


インターネットの最期があるとして、インターネット(PortalのGLaDOSみたいな人工知能を想像している)は、スペースデブリみたいにインターネットを浮遊している、誰にも思い出される事がない、私の言葉を走馬灯で思い出してくれるのだろうか?インターネットは、傍目には消えているように見える、誰かの言葉たちを全部覚えていたり、するんだろうか?