潔癖症の人




人に自分の印象を聞くとそれから学ぶ事が100くらいある。スクショは長年のフォロワーさんに「#いいねしてくれた人の現時点での印象を言う」みたいなやつで返ってきた答えだ。自分で自分の事を考えて言葉にするけど結局それは堂々巡りでしかないので、人に話を聞く事でそれが自分探しの答えになったりする事は結構ある。それを期待して人に自分の事を聞いたりもするけれど、人に自分の印象を聞くのは、かなり構ってちゃんみたいで憚られるし、それに自分について、そして他人について、そんなに語れる言葉を持っている人は多くない。


帰省して久しぶりにテレビを見ている。「キスマイBUSAIKU!?」という世界一嫌いな番組があるのだけれど、それだけでなくもう大半のテレビ番組が見れなくなってしまっていた。テレビ番組、というか外にあるコミュニケーションの一部分は他人の言動を論う事で成り立っているんだけど、どうしてもそれを面白いものとして見られない。行動に指を指されてケラケラ笑われるとか、あれはないよねえと陰口を叩かれるとか、そっち側の人間に感情移入して見てしまう。キスマイBUSAIKU!?はそういった人の行動を喋りだけではなくきちんとテロップで表示してくれるので、共感性羞恥の自分に分かりやすく、羞恥をさせて頂けるのでぶっ刺さりである。やっぱり娯楽にも向き不向きがあって、一般的な所で言うと自分は下ネタとかが割と好きなんだけど、それって人によって得意不得意があって、向けられただけでフリーズしてしまうような人がいるように、地雷の数は人の数だけある、というだけの話で、それで自分は、人を論うネタが苦手だっていうだけの話。


今書いていて思ったけど、「何かが嫌い」というトピックは話し手としてとても話しやすい話題なんだよな。今日の主題は「何かの悪口を主体としたコミュニケーションが苦手」だった筈なんだけれど、早速矛盾してしまっているな。英語の授業で「What's your favorite food?」なんて聞くよりも「What food do you dislike?」って聞いた方が話が盛り上がる、という持論があるんだけど、好きな食べ物の話なんか、あるあるすぎて各人エピソード持ってるからトントン、みたいな説もあるな。


閑話休題。そういったコミュニケーションが苦手で、そういう話をされる度に悪口を言われるものの気持ちになってしまってどんどん精神力が削られていってしまう。とはいえ、コミュニケーションのデッキのTier1として、自慢話と人の悪口は燦然と輝いているので、それから逃れる事も出来ないし、それを許せるようになりたいんだ。相手から口にする事もそうだけど、自分で意識して悪口を口にする事が出来るようになりたい。自分を棚に上げる、というのももうちょっと自分はしてもいいと思う。多分もう自然にめちゃくちゃ言ってはいると思うんだけど、意識的に言おうとすると自己批判の声が脳内で反響してしまうからそれをやめたい。



自分は長年ブログを書いているので「文章が上手い人」だとよく評される事があるんだけど、自分で自分の事を、「文章を書くのがめちゃめちゃ下手」だと思っていて、それは何故かというと、全部が全部の文章、この書体でしか書けないんだよね。構成もクソもなくて。高校で小論文を書く時もなかなか先生の「ここを直した方がいい」という部分が理解できず、手直しするだけでいい文章を全部取っ替えて毎日原稿用紙5枚を書く羽目になって鬱になったり、大学に入っても英語の論文で先生に「言っている事がめちゃめちゃだ」と言われ、どうやっても完成させる事が出来ず、その授業が必修だったので同じ授業を6回取り直して、結局卒業する事が出来なかった。


以上のエピソードで実感した事が、「自分の文章のリズムを一度崩されると完全に筆が止まってしまう」「自分のお気持ちしか書けない」という事。客観的に、構成通りに書く事が致命的に苦手。良くも悪くも主観的で感情的な人間だなあ、とつくづく思ってしまう。そこでタイトルの「潔癖症」なんだけれど、潔癖症の人間って別に側から見てめちゃくちゃ綺麗って訳じゃないんですよね。ただ自分の中で「こうしなくちゃいけない」ってルールが沢山あってそれに縛られてしまう人間なんじゃないかって。それって自分と近いところがあるよなあって思います。まあ、不安症と、強迫性障害、遠からずな所にいますからね。ほぼイコールみたいな所ありますよ。自分の文章に対して他人の目線を少し許容できるように(一生ならないと思うけど)なりたいですよねえ。文章を書くのは楽しいから仕事にしたいなあとは思うけど、こんな感じだからお金にはならないね。


自分がどんな職についたらいいのか1mmもわからない。つべこべ言わずにハローワークに行けって話なんだけど、行って調べても「どんな職をお探しですか?」って言われてそこで詰む。自分の担当する職場の人間関係がほぼ全てでそれ以外は別に何でもいいと思っているけど、多分新卒の人間みんなそうで、その上で自分なりに情報収集して、えいやと新しい波に飛び込んでいくのが一般的で、そこに飛び込めない自分は、例えば小さい頃に橋から川に飛び込まなきゃ友達と認めない、のに飛び込めないような、そんな疎外感を感じる。いつか社会にお前は友達と認められる日は来るんだろうか?


そんな感じでひどく不安を感じながら毎日を生きています。現在は帰省しているのですが、隙を見せると「お前、これからどうするんだ?」パンチが飛んできそうで怖いから迂闊に自分の部屋から出られないし、外に出ようものなら知り合いと会って「仕事何してるの?」パンチが飛んできそうで精神を擦り減らしながら親に連れられながらご飯を食べに行ったりしています。

あなたはどうですか?あなたはどうして自分が生きていていいと思いながら生きていけるんですか?外を歩いていたら他人から存在をしているだけで嫌な思いをさせていると妄想をしたりしませんか?あなたはそうじゃないとして、隣に座っている人がそうやって考えている事、考えもしませんか?しませんか。そうですよね。私は、ずっとそんな事ばっかり考えています。「他人は自分の事をそんなに考えてない」なんてそんな言葉が薬になったらいいですね。あなたがそうであってもそうでなくても、私の見えてる世界がこの有り様なので、話はこれで終わりです。おつかれさまでした。

わたしみ

わたしみ

Twitterしばらく見ない」って言っておいて全然見てる。怒らないでね。